「出逢いは始まりの銅鑼」

藤吉:
数年前、この先のビジネスモデルをどうするかと悩んでいた時に、とある証券会社の代表から寺山会長を紹介されたのが最初のきっかけでした。ビジネスの話より音楽や料理の話などが殆どでしたが、日本のインターネット創成期からメディア作りの話も印象的でした。この人と一緒に仕事をすれば、私が過去培った物造りの価値が最大化できるという直感的な印象を受けたのも事実です。

寺山:
藤吉君の最初の印象は、あのヒットしたテレビドラマ「下町ロケット」の主人公です。学生時代から中国に留学して起業して、ITまわりの物造りは世界水準で、でも営業下手で、しかし未来が楽しみな人材という印象でした。人間として「いいやつ」だと思いました。私の人選びの入り口は「人」としての感性です。

藤吉:
旧トランザスは、ピースリーとして新しく生まれ変わります。過去にも、幾度か技術オリエンテッドを基本に事業転換をしてきました。転換毎に小さな成果を積み重ねて本日迄参りましたが、未だ満足いく結果には至っておりません。しかし、物造りのコア技術とノウハウの蓄積は、世界に誇れる水準にまで至ったと自負しています。
この価値をあとは具体的な社会貢献に繋がるビジネスに変えるだけです。それを具現化するのが生まれ変わったピースリーの姿だと思います。

「メディアの変遷に大きなビジネスチャンスがある」

寺山:
過去、日本のメディアの変遷は、新聞、雑誌を代表する「紙メディア」から、ラジオ、テレビの電波に乗せた「波メディア」に移り、そして通信を活用したインターネットの「網メディア」へとその首座は変化してきました。メディアは「紙」から「波」、そして「波」から「網」と変遷してきました。私はこれらのメディアをプラットフォームとしてビジネスをしてきました。
今から20年程前、大きな変化がありました。「iモード」の登場です。当時、ポケットベルが流行り、その機能を携帯電話にインターネットを介してコミュニケーションする「iモード」サービスがはじまりました。私は大きなショックとこの先のメディアはこの「手の平メディア」が首座になると確信した出来事であり、始まりでした。iモードの先のスマートフォンの未来構想もこの頃、キャリアから聞いていました。

藤吉:
私はその頃、IT技術の世界的中枢を担っていた台湾で、インターネット技術の進化に直面していました。IPという新しい情報通信の形をビジネスにしようと、最初の物造りをはじめたのもその頃です。i-modeが動作するアプリケーション層よりも、その情報を伝達する物理層からネットワーク層を中心としたIP構造を中心に物作りに没頭していました。
それから10年程後に、MBAの取得で北京大学に通う事になりますが、この台湾での物造りがその後の私の人生始め、当社に大きな影響を与えています。現在当社のDOOHネットワークの根幹技術を形成しているのも、この頃からの技術の積み重ねによるものです。

寺山:
私はすぐに、この「手の平メディア」で世界一のプラットフォームを作りたいと思い、当時、私の会社の株主には大手新聞社も数社おり、またNTTも株主であり、他方、創業に国が作った会社という経緯もあり政府広報も加味したニュースサイト「The News」を開設しました。開設2年後には970万人が会員の一大メガサイトとなりました。サイト内では課金サイトやコマースサイトも作り多くの人に利用され、それは今から数年前に始まったスマートフォンビジネスの大きな礎ともなりました。プラットフォーム事業は遣り甲斐のある仕事であり、社会にお役に立つ仕事であると思っています。

「環境プラットフォームも進行中です」

藤吉:
私は今、世界の環境問題に対応するプラットフォーム事業も挑戦しています。東南アジアを中心にデジタルトランスフォーメーション時代に必須となる、エネルギーの削減と、少人化による労働コストの削減を本格化しようと考えています。新しいテーマに直ぐに取り組む事が出来る東南アジア市場で先ずは、デジタルトランスフォーメーションの成功パターンを作り上げ、日本に逆輸入し、更に世界にも広げていくのが私の構想であります。

「その先に人がいる」

寺山:
いかなるサービスも人が人のためにあるのであって、サービスがサービスのための仕組みであってはなりません。
いかなるサービスも必ず「その先に人がいる」ことを忘れてはならないと考えます。P3で展開するプラットフォーム作りはこの考えを踏襲したいと強く思っています。